会衆で地獄のようなイジメに遭っていた頃のこと
相手が悪い、ってずっと思って来た。
どうしてあのヒトたちは あんな邪悪なことができたんだろう?って。
ねたみを持つとヒトは、全て自分の都合の良いように聖句を選んで組み立てて、
相手を崖から突き落とすようなことをする。
って考えてきた。
あれからもう8年、そう考えてきた。
でも、今年の2月から今年中に聖書を読み終えるペースでほぼ毎日読むと
ものみの塔ライブラリーで調べながら読むと
途中で祈りながら読むと
「私がエホバの道からそれていたからああいう目に遭ったんだな。」
って思う事が多くなってきた。
そう思う理由は聖書の中にいっぱいあったけど
例えば
…………………………
・エホバはソロモンに対して憤った。彼の心がエホバから離れたから
ー列王第一11:9ー
その後
① エホバは、エドム人ハダドがソロモンに反抗するようにした。ー11:14ー
② 神はまた、エルヤダの子レゾンがソロモンに反抗するようにした。ー11:23ー
③ その後ヤラベアムも王(ソロモン)に逆らうようになった。ー11:26ー
…………………………
ユダがバビロンによって滅ぼされたのも
神に従っていると思い込んで神のご性質から憎まれる事をしていたから。
でも、アッシリアもバビロンも
後にエホバから懲らしめられた、「やり過ぎた」から。
(私をイジメたヒトたちも、明らかにやり過ぎた!と思う。)
ゼカリヤ1章15節
「私(エホバ)はわずかに憤っただけだったにもかかわらず、それらの国々がもたらした災難は行き過ぎたものだった。」
→それで、イスラエルを罰するために用いたバビロンやアッシリアをエホバが滅ぼすことにつながっていく。
ヤコブの息子ヨセフは
悪いことをしなかったけど 10人の兄弟たちから憎まれ迫害を受けた、
という例も聖書にはある。
でも、
私はそんな完全に近い上等なニンゲンではない。
私のケースは聖書中にたくさんある、自分の良くない行いの結果を身に受けた
そういうケースだ、と思うようになった。
きっと私が悪い。
傲慢だったんだな、って思う。
↑の聖句のように「エホバから苦しめられた」
とは思わないけど
自分がいけなかったから、って思うけど
エホバ、私にどうか喜びを与えてください!
(ノドから手が出るほど喜びが欲しい! エホバとの友情の喜び!)
ちょうど地区大会のテーマは「喜び」
喜びは、神の聖なる力のフルーツ。
内面の喜びがあるように
地区大会ビデオで勉強しよう!
何度も見て祈ろう!
今日は 大会一日目午前(ビデオ2つ)1の半分を見た。
レモンのハチミツ漬けを作りながら。
コロナで、全ての集会、大会が視聴できる!
あのヒトたちに会わなくても!!